月別行事&ブログ

もりやまこども園 月別行事表

「保護者の皆様は、本園、大川分園のどちらかを選択することができます」

社会福祉法人キッズハウスもりやま

 当社会福祉法人キッズハウスもりやまは、幼保連携型認定こども園として「もりやまこども園本園」と「もりやまこども園大川分園」の2カ所の園を運営しています。前者は年齢別集団教育・保育を中心に行い、後者は小規模の異年齢集団教育・保育を中心に行っています。
「保護者の皆様の子育てに対する考え方に応じて、どちらかを選択することができる」これが、もりやまこども園の特色の一つです。

もりやまこども園 施設長の挨拶

施設長 工藤 正孝

1.「不思議」「気づき」「ひらめき」(エッ?ハッ、ポン!)の過程を大切にして

 何かを不思議に思い(エッ?)、もしかしたらこうかな?と気づいたり(ハッ)、これまでの経験知を総動員してひらめいたりする(ポン!)。これは大人も子どもも同じですが、その気づき方やひらめき方は一人ひとり異なります。また、子どもは大人よりも経験知が少ないため、大人が最初から考えたり、思いついたりしないような気づきやひらめきをします。その瞬間に立ち会えることはとても幸せなことです。
 その気づきやひらめきが正しいとか、間違っているとかはとりあえず脇に置いて、自ら考え、判断し、言葉にしたり行動に表したりしたことを大切に受け止めます。例えばそれが間違っていても「それは違う」と否定的な対応をしたり、大人の答えを教えたりはしません。「考えている」「表現している」ということを認めてあげます。適切な答えは、子ども自身がこれからの学びの中で獲得していきます。子ども自身が持ち前の主体性を発揮していることが受容され、認められる。そのような体験の積み重ねが、物事に挑戦する意欲ややり抜く力を育み、自己肯定感を高くしていきます。

2.科学する心の芽生え ―“いも”(2歳児)―

 「エハポン」は、子どもの科学する過程を見取るためのものさしのようなものです。「今のことばは『ハ』かな?『ポン』だよね」と、保育者間で話題にしながら子どもの心に湧き上がる感覚や思いを共有していきます。  さて、幼児期の「科学する心」は、いつ芽生えるのでしょうか。0歳児がおもちゃを舐めたり、触ったりする行動は本能的な探究心の現れであり、赤ちゃんなりの情報収集です。生きるために必要な行動を持って生まれてきているのでしょう。「科学する」という行動は、少し違います。それは、「する人」が「こうしたら?どうなる?」など、自分の考えを確かめる方法を思いついてから始まるように思います。
 次のエピソードは、まだ「科学する」という言葉を獲得していない2歳児の子ども達が、「科学する」ステップにぴょんとジャンプしたお話です。その時に立ち会えた“幸せな”保育者が、その様子を丁寧に捉えてくれました。

 近くの畑で芋掘りを終え、2歳児の3人は、並んで園に帰るところです。
 Aくんが道路脇に何かを見つけました。右手には、芋掘りで見つけた小さな芋を握っています。
 しゃがんで、見つけたものに左手で触わりました。‥(エ)
A「あっ、いもだ!」             ‥‥(ハ)
 それを握って地面に打ち付けます。コツコツと音がします。
A「ほら、いもだ!」             ‥‥(ポン)
 何度も、打ち付けます。コツコツ。
A「いもだ!」                ‥‥(ポン)
 その様子を見て、Bさんが話します。
B「なんか、たまごなんじゃない?」      ‥‥(エ、ハ)
 それを聞いてCさんが話します。
C「ちょっとかして。やってみる。」      ‥‥(ハ)
 同じように地面に打ち付けます。コツコツ。
C「いもか」                 ‥‥(ハ、ポン)
 それを聞いて、Aくんはつぶやきます。
A「いもだ! いもか いもだ!」       ‥‥(ポン)
 そしてAくんはその“いも”をCさんから受け取り、その後、ぽいっと捨てて園に帰りました。右手は芋を握ったままです。

園長写真

 科学する心の芽生えを感じるお話です。別の言葉で表現すると、見たことのある何かと似ている何かを発見し、それを「見たことがあるもの」と同じものかそうでないかを、(実際に言葉にはしていませんが)仮説を立てて確かめています。Aくんが着目したところは「固さ」のようです。そして、その仮説・検証に対して、Bさんは別の仮説を立て、Cさんは自ら確認作業(再検証)をしています。科学の仮説は、自分以外の誰がやっても同じ結果になる時、正しさが証明されます。
 そういう観点で3人の行動を見ると、ここに「科学する心の芽生え」があると私は思います。ご家庭でもこども園でも、子どもさんがこのように科学する体験の場面はたくさんあるように思います。大切なことは、大人の経験知で子どもの思いや感覚をふさがないで、十分に遊び込ませてあげることです。この3人は、満足して“いも”から離れたようです。